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(1) まえがき
ボクは鳥取県米子市の出身で、米子高専を1987年に卒業 (19期) したのであるが、なぜか、現在アメリカに住んでいる。アリゾナ州・プレスコットという町にある、エンブリィ・リドル航空大学の工学部航空宇宙工学科の助教授 (英語で言うと、アシスタント・プロフェッサー) を2003年の8月からやっているのである。高専を卒業してから1992年の終わりまでは大阪のある自動車メーカーに勤めていたのだが、1993年の1月に退職して渡米し、アメリカの大学へ自費留学に踏み切ったのであった。当時、両親、兄弟、親戚、友人、会社の上司、高専の先生方、ほとんど全員から猛反対をくらったのであるが、それらを押し切ってのアメリカ留学であった。それら猛反対の意見の中で、なぜかたった一人だけ、こういうことを言った人がいた。米子高専のある先生であった (今でもハッキリとその言葉を憶えている)。その先生、ボクにこう言ったのである。「ほう、アメリカ留学か、それはいい。頑張って最後まで勉強をして来なさい。航空宇宙工学をやるのか。それなら多分、流体力学をやらなきゃいけないぞ。」そしてなぜか、10年後の今、その言葉通りになってしまったのである。航空宇宙工学の中でも流体・熱力学関連の分野を専攻したボクは、2003年の7月に工学博士 (英語では Ph.D. と言う) の学位を取得し、8月からアメリカの大学の教壇に立つことになってしまったのである。この体験記は、実はこの高専の先生 (今はもう退官しておられるが) から個人的に頼まれて執筆をすることにしたものである。本当は断わろうかな、とも思ったのである (留学の自慢話みたいになるのがイヤだったので)。けれども、やはり引き受けることにした。10年前にたった一人だけ、ボクの留学に反対しなかった唯一の人からの依頼はチョット断われないなあ (笑)、というのも、もちろんあるけれども、まあそれはそれとして、ボク自身、10年間のアメリカ留学中、数えきれないほど多くの出会いがあり、別れがあり、成功もあり、失敗もあった。うれしくて飛びあがったこともあったし、一晩中涙を流し続けた夜もあった。そういういろいろなことを、特に今年2歳になる息子 (アメリカ生まれ) の恵太のためにも、素直な、かざらない言葉で書いておきたかった、ということもある。アメリカ留学への道、それは、ボクが二十歳のころに選んだ道である。自分なりに一生懸命今日までその道を歩いてきたつもりである。これからアメリカ留学を目指す若い学生諸君のために、こんなボクの体験談でも少しは役にたつのかなあと思い、恥ずかしながらこのような文章を書くことにしたのである。
(2) 1987-1993
アメリカ留学のための準備期間
(大阪)
(3) 1993-1996
カンザス州立ウィチタ大学
(Wichita State University) 工学部航空宇宙工学科
(カンザス州・ウィチタ)
(4) 1996-1998
南カリフォルニア大学
(University of Southern California) 大学院工学研究科修士課程
(カリフォルニア州・ロサンゼルス)
(6) 1999-2003
カンザス州立ウィチタ大学
(Wichita State University) 大学院工学研究科博士課程
(カンザス州・ウィチタ)
(7) ボクの人生を変えた「パッション・オブ・クライスト (The
Passion of the Christ) 」
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