アメリカ留学への道                      林原茂男

 

 

 

 

 

(2) 1987-1993 アメリカ留学のための準備期間 (大阪)

 

 

 

 

 

アメリカへの憧れ

 

ボクがアメリカ留学のことを考え始めたのは、米子高専を卒業し、大阪のある自動車メーカーに就職してからしばらくのことだったように記憶している。ボクが働いたその会社は一部上場、従業員約1万人、という大企業であった (こう書くとどの会社か分かってしまうなあ)。給料も別に悪くはないし、安定していた。けれども何が不満なのか、自分の中でどうしても納得できないものがあったのである。当時、浜田省吾 (筆者注: ハマショウである、まだ音楽活動してるのかなあ?) の大ファンだったボクは、「アメリカ」という国のことをテーマにした曲を聴いて、この国に行きたい、というような憧れにも似た気持ちを持つようになり、そしてそれがだんだん強くなっていった。多少 (というか、かなり) 古いのだが、ここでその浜田省吾の曲の歌詞を書いておこう。曲名はそのものズバリ、「アメリカ」であった (と思う、多分)

 

ロスからサンフランシスコへ続くフリーウエイを

俺たちヒッチハイクした

1984

彼女はダンサー

ニューヨークで踊る日を夢みていた

俺はただ東京から逃れたかった

We were looking for America

映画の中のアメリカン・ドリーム

今も America あの頃

輝いてた瞳思いだす

 

ウーム、なつかしすぎる。何年前にこの曲を聴いたのかなあ? まあ (まるで中身のない) 歌詞の内容はともかくとして、とにかくこの曲はカッコよかった (オジサンになった今でもハッキリと憶えているくらいだから)。こういうワケ (どんなワケなんだ?) で、二十歳のころのボクはアメリカに行ってみたくてどうしようもなくなってしまっていたのである。ボクはなぜか小さい頃から航空関係や宇宙関係にものすごく興味があった。当時、週末になると「航空ファン」や「航空ジャーナル」などの雑誌 (今でもあるのかなあ?) を読みふけり、「銀河宇宙オデッセイ」などというような20冊からのシリーズの専門書などを夢中になって読んだものである。そんなこんなで、「アメリカに留学したい。」「航空宇宙工学を勉強したい。」という気持ちは、もはや憧れではなく、では具体的にどうするか、という計画の段階へと進んで行ったのである

 

 

「アメリカ留学」の定義

 

ここで、「留学」とは何か? ボクなりの考えではあるが定義してみたいと思う。これはあくまでも個人的な考えであり、他人にこの考えを押しつけるつもりは全くない (だから多少厳しいかも知れないけれどお許しいただきたいと思う)。「留学」というのは便利な言葉である。日本人はこの言葉を好んでよく使う。一般には、「遠く離れた場所」に「一定の期間以上」留まり、「何かを学ぶ」というような大変あいまいな意味で使用される。だから、例えば「内地留学」だとか「短期語学留学」などという表現ももちろんある。それはよいのだけれども、あえてここで、ボクがこれ以降使用する「アメリカ留学」という言葉の意味として、以下の3つの定義をしておきたい。

 

1. アメリカで正式の教育機関として認定を受けた2年制 (短期) 大学・4年制 (総合・単科) 大学、または大学院に、

2. あくまでも学位 (degree) を取得することを目的として、

3. 正規 (フル・タイム) の外国人留学生として、単位の取得を目的とする正規の授業の履修登録をして勉強をする。

 

ちょっと待て、これでは厳しすぎる、と思われるかも知れない。語学留学だって立派な留学だ、正規の授業ではないが公開講座に参加するのも立派な勉強だ、と言われるかも知れない (小泉首相などはもちろんそう言うであろう)。そうかも知れないが、これは日本でのみ通用する、いわば屁理屈であろう (厳しいようではあるが)。日本以外の国からアメリカに来ている外国人は、ただ単に語学講座へ英会話を学びに来ることと、学位を取ることを目的に大学 (または大学院) の正規の授業を履修することを少なくとも同一の言葉 (と意味) で表現したりはしない (恐らく日本人だけであろう)。当たりまえのことではあるが、上記3つの条件を満たす「アメリカ留学」をしようと思ったら、かなりの覚悟がいるのである。また、当然それなりに準備もしなければならない。

日本語で言う、アメリカ「留学」の一番手っとり早い方法は、英語研修であろう。アメリカの大学にはどこにでも短期英語集中講座 (英語ではインテンシブ・イングリッシュなどと言う) があり、誰でも (金さえ出せば) 受講できる。しかし、これは、ボクの個人的「アメリカ留学」の定義から言わせてもらうと、これは「留学」そのものではないのである。アメリカの大学の短期英語集中講座にたとえ何年居ようと、学位が取得できるワケではない。従って、ボクの考えでは、これは学部又は大学院に進学するための英語力を身につけるための、あくまでも留学の「準備」段階に過ぎないのである。ここでハッキリと言っておこう。アメリカの短期英語集中講座に参加すれば英語力が身につく、と (たいていの) 日本人が信じてアメリカの大学へ大挙してやってくるのであるが、これは大間違いである。アメリカの大学にはどこにでも短期英語集中講座があるが、どこも日本人だらけである。英語を使うのは授業のみ、日本人のグループで固まって行動し、普段は日本語ばかり、というのが典型的なパターンである。これでは、日本に居るのと全く同じである。英語力が向上するワケがない。アメリカ留学を成功させる秘訣、それはまず、何と言っても英語力であろう。アメリカへ出発する前の段階で、充分に英語力を身につけておくことが何よりも重要である。英語力を正確に計るには、TOEFL (Test of English as a Foreign Language)という試験を受験する必要がある。これは比較的簡単に受験できるのだが、このTOEFLのスコアを上げるのは並たいていのことではない。もちろん専攻にもよるのだが、学部留学の場合、TOEFL530点、大学院留学の場合、TOEFL550点は最低限必要である。ちなみに、米子高専を卒業した直後に受験した時のボクのTOEFLスコアは (恥ずかしながら) 423点であった。大阪にある留学手続代行専門店を一度訪ねたことがあるが、TOEFL423点と言った途端、「全然ダメですねえ、本当に留学する気があるんですか?」とバカにしたような言い方をされたものである。これ以降、留学手続代行専門店を信頼できなくなったボクはすべての手続きを自分でやることにするのである。今思うと、それがかえってよかったかも知れないなあ?

 

 

留学資金の準備

 

さて、二十歳のころのボクは、アメリカへの留学を決めたものの、英語はロクにできないし、留学資金もなかった。そこで、この2つを仕事をしながら準備することにした。まずは留学資金である。航空宇宙工学の専攻のある大学で、授業料の安い大学をピックアップしたのだが、やはり州立大学のほうが安い、ということが分かった。この授業料をベースに、生活費、渡航費用などを計算し、学部を卒業 (高専の単位をいくらか編入できたとしても最低3年から4年はかかる、と考えたほうが良い) できるだけの費用を算出すると、500万円ほど (1987年当時) という結果が出た。当時のボクに取っては莫大な金額である。生活費用をギリギリまで切り詰め、何とか最短でこの費用を捻出することにした。それでも5年間という期間が必要となった。苦しい毎日であった。けれども情熱が冷めることはなかった。休みの日になると、航空宇宙関連の本や雑誌などを夢中になって読んだ。大阪の紀国屋や旭屋に出かけては、アメリカからの輸入もの工学系雑誌をロクに英語も読めもしないくせに購入しては絵ばかりを何度も眺めたりしたものである。しまいには、アメリカの地図 (ランド・マクナリー) を買いこみ、日がな一日その地図を眺めては空想をめぐらしたりもした。この5年間、とにかく頭の中には「アメリカ留学」のことしかなかったような気がする。長かったようでいて、アッという間に過ぎた5年間であった。

 

 

英語の勉強

 

さて、アメリカ留学をするからには、英語の能力がなくてはダメである。TOEFLを一回受験したら多分気付くはずであるが、日本人は一般的にリスニング (それとスピーキング) が苦手である。日本の英語教育の欠陥をイヤというほど思い知らされること間違いない。いくら英語の文章が読めても、文法を知っていても、相手の言っていることが分からず、またこちらの言いたいことを適切に表現できなければ、何の意味もない (アメリカでは生きて行けないのである)TOEFLでは、まずリスニングのテストから始まる。ネイティブ・スピーカーの英語をそのままナチュラル・スピードで聞いても、耳が慣れていない日本人には、何を言っているのか、サッパリワケが分からないのが普通である (少なくとも、ボクはそうだった)。ボクのTOEFLの勉強法、それはある意味では単純明快な方法であるのだが、とにかく、「英語に慣れる」ことのみを主題とする勉強をした。以下、その具体的内容である。

 

1. とにかく、朝起きてから夜寝るまで英語を聞く。職場でも、通勤時間はもちろん、休憩時間やコンピューターに向かって作業する時間など、とにかく寸暇を惜しんでイヤホーンで英語を繰り返し聞いたものである。睡眠勉強法なるものも試した。寝ている間も英語のテープを回しっぱなしにして寝る、というものである (果たして効果があったかどうかは疑問であるが)。最初はワケわからないが、少しづつ何となく意味が分かるようになってきたら、しめたものである。テープは何でもよいが、できれば時事英語がよい。ボクは、EE (イングリッシュ・エクスプレス)という雑誌のテープを繰り返し聞いた。これは、実際のCNNのニュースを収録してあって、雑誌にはその日本語の解説記事なども載っていたから大変勉強になった (イチオシである)CNNの討論 (クロス・ファイア) やラリー・キング・ライブなどの人気番組も収録してあり、後に実際にアメリカでCNNを見てその内容が理解できた時は本当に感動したものである。

2. 英字新聞を買って読む。これも最初はほとんどワケが分からない。英字新聞を読むコツは、辞書に頼らないことである。分からない単語はどんどん飛ばして読む。とにかく全体に大まかな意味をつかむことを努力する。そして、その文脈を通して単語の意味を推定するようにする。すなわち、単語の意味を日本語の訳として覚えるのではなく、単語そのものの持つニュアンスで理解するようにする。これは最初は大変つらいが、重要な点である。慣れてくると、初めて見る単語でもだいたいの意味が分かるようになるものである。どうしても辞書を使いたければ、英英辞典を使用する。ちなみに、ボクは分厚い和英・英和辞典をアメリカへ持参したのであるが、今日に至るまで、ほとんどその辞書を使用したことはないから新品同様である (無用の長物とはまさにこのことであろう)。アメリカで英英辞典と、用語辞典 (英語では、シザラスと言う) を購入したのであるが、これらは擦り切れてボロボロになり、何度か購入しなおしたほど使用したものである (今では全部コンピューターに取って変わられているが)

 

以上この2つだけである。文法の勉強なぞしなかった。ボクはこの完全我流の英語勉強法を約5年間繰り返したのであるが、5年後(すなわち、アメリカ留学の直前)TOEFLでは何と550点のスコアをたたきだした。このスコアを受け取った日のことは今でもハッキリと憶えている。うれしさのあまり大声で叫んで狂ったように飛び跳ねたものである。今まででこんなにうれしかったことはなかったんじゃないかなあ?

 

 

そしてアメリカへ

 

ボクがアメリカへ向かう航空機 (旧式のオレンジ色の塗装のユナイテッド航空のB-747-200型機) に乗ったのは、199313日のことである (正月3ヶ日にアメリカへの便に乗る日本人などほとんどいないであろう)。このため、機内はガラガラ状態で、安いディスカウント・チケットなのに、ビジネス・クラスに乗ることになった。とんでもなくリッチな旅となり、快適そのものであった (実を言うと、航空機に乗るのはこの時が初めてなのであった)。サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジが眼下に見えた時は涙が出るほど感動したものである。大阪 (当時はまだ伊丹空港) からサンフランシスコ、デンバー、そしてカンザス州・ウィチタへ、という旅は快適そのものであった。ユックリと観光を兼ねた旅は続き、1993年の110日、ウィチタに到着した。ところが、ウィチタでは、数十年に一度、という規模の大寒波に襲われており、一面真っ白の猛吹雪であった。こうして、ここから10年以上にわたるアメリカ留学 (最終的には永住) の生活が始まるのである。

 

 

 

 

 

(3) 1993-1996 カンザス州立ウィチタ大学 (Wichita State University) 工学部航空宇宙工学科 (カンザス州・ウィチタ)

 

 

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