エンブリィ・リドルの物語 (2)
THE SKY IS HOME
The Story of Embry-Riddle:
The World’s Leading Aviation / Aerospace University (エンブリィ・リドル航空大学公式記録) より
エンブリィ・リドル・カンパニー
ヒグビィ・エンブリィとジョン・リドル、この2人の出会いのエピソードがまたユニークである。これは大学の公式記録に残っているのだが、初対面のこの2人、こういう怪しげな会話で始まったそうである。
エンブリィ: あのさ、飛行機の操縦の練習 (フライト・レッスン) をしてみたいんだけどね、1回の試乗 (ライド) で料金っていくらなのかな?
リドル: いくらお金持ってんの?
エンブリィ: えーっとね、20ドルしかないんだけど。
リドル: あっそう、偶然にも実は20ドルなんだよね (筆者注: 全部持ってくのかよ?)。さっそく乗って (ホップ・イン) みなよ。
ウーム、何ということであろうか? こんなので大学が出来てしまったのである (筆者注: ビデオにまでなってる大学の公式記録だけど、でも本当にいいのか、これで?)。1926年と言えば、あのライト兄弟がノースカロライナ州キティ・ホークという田舎町のはずれにある砂丘で人類史上発の、動力を使用した飛行機の飛行に成功してからまだわずか20年ほどしか経っていなかった (筆者注: 著者の故郷に近い鳥取砂丘みたいなものか? 残念ながらキティ・ホークには筆者は行ったことがない)。
ところで、このライト・フライヤーという名の人類史上初の動力飛行機であるが、ちょうど100周年になる2003年に、精巧に復元されたまったく同じ完全レプリカの飛行機がキティ・ホークでまったく同じ条件で飛行再現テストされた。動力飛行100周年記念事業としてアメリカ航空宇宙学会 (AIAA) がけっこう真剣に企画したものだが、当日何度も飛行に失敗したあげく、結局ついに飛行機を飛ばすことはできなかったのである。ライト兄弟の成功は運にも恵まれていた、ということなのであろうか? この動力飛行100周年記念事業のライト・フライヤー飛行再現テストは、筆者も、教え子たち (エンブリィ・リドル航空大学の学生たち) とテレビにかじりついて見守ったものである。結局、飛行は失敗に終り、落胆のあまりその日は授業をキャンセルしてしまった (学生たちは喜んでいたらしいが . . . )。
これは決して誇張ではないのだが、1900年代の初めには、「飛行機」という機械を使って空を飛ぶことなどまさに奇跡と言えるようなことであった。それからわずか20年そこそこである。大体、飛行機を売るのはいいが、普通の人にとっては、そもそも飛行機って何なのさ?というような時代だったのである。だから、まずは客を何回か飛行機にのっけてやって (曲芸飛行か何かやってみせて)、こりやあ面白いぞ、と思わせるところからこのエンブリィ・リドル・カンパニーの「飛行機売り」の商売は始まるのである。リドルが調子に乗って無茶なアクロバットをやって客にゲロを吐かせたりしたら、もちろん商売にはなるまい (当然の話ではあるが)。
1回5ドルから6ドル、というような料金で (筆者注: あれ、ちょっと待てよ、エンブリィからは20ドルふんだくったんじゃなかったっけ?)、二人乗り飛行機の後ろにのっけて、その辺りを飛ぶのであるが、なにせリドルは元陸軍航空隊あがりの曲芸パイロットだったから、桔構面白いことをやって見せたりしたらしい。これはリドル本人が後に (自分で) よく言ってたらしいが、カワイイ女の子などはタダでのっけてあげたりしたらしい (筆者注: お前なあ、商売やる気あるのか、本当に?)。相方のエンブリィが知ってたかどうかは不明である (筆者注: 多分知ってたろう)。それでもって、興味を持った人たちに飛行機の操縦を教えこんで、自分で飛ばせるように仕込んでから飛行機を売ろう、というようなアイディアだったそうである (筆者注: このあたりがいかにもアメリカ的な楽観主義でおもしろいけど、本当にそんなんで大丈夫なのか?)。そう、なぜかこんないいかげんなエンブリィ・リドル・カンパニー、うまく行ってしまったのである。でなければ、現在のエンブリィ・リドル航空大学は存在せず、筆者もこのような文章を書いてなどはいないのである (当り前の話ではあるが)。
エンブリィ・リドルの物語 (3)
タルトン・ヒグビィ・エンブリィとジョン・ポール・リドル
(その1)
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