エンブリィ・リドルの物語 (3)

THE SKY IS HOME

The Story of Embry-Riddle:

The World’s Leading Aviation / Aerospace University (エンブリィ・リドル航空大学公式記録) より

 

 

タルトン・ヒグビィ・エンブリィとジョン・ポール・リドル (その 1)

 

 

 

 

 

ここで、エンブリィ・リドル航空大学の生みの親 (当の本人たちはそんなこと夢にも思わなかっただろうけど)、エンブリィとリドルについて少し書いておこうと思う (当の本人たちは、大きなお世話だ、と言うだろうけど)

 

タルトン・ヒグビィ・エンブリィは1897年にオハイオ州シンシナティに生まれた。子供の頃は自動車に夢中だったという。ちなみにエンブリィ・リドル航空大学のキャンパス (特に寮の駐車場) で筆者がよく目にするおなじみの光景だが、ポンコツの (こんな車本当に走るのか?と言いたくなるほどの) 車の下にもぐりこみ、朝から晩まであきもせず車をいじっている学生がいる。それも一人や二人ではない。寮の管理をしている人たち (寮長とか多分いるんだろうけど) 誰も決して何も文句は言わない。飛行機に夢中になる奴っていうのはもともとメカ好きから始まるようである。身近にあるてっとり早いメカものは、やはり車なのであろう。エンブリィもそうだったのだろうか。おまえらなあ、それだけの情熱を勉強にも注いでくれんかい (少なくとも授業には出席せいよ)、などと時に (大学の教員という立場と使命感ゆえに) 思うことも (たまに . . . ) あるのであるが、次の瞬間には、だいたい大学の創始者 (エンブリィとリドル) がこういう感じのやつらだったんだろうしなあ、などと、ついフッと遠い目をしてしまうのである。そういう意味では、創始者以来の伝統がいまだにやたらとそこらに残っている大学なのである。ある意味ではこういう大学は珍しい。いいのか悪いのか分からないのだが . . .

 

とにかく、このエンブリィ、いつかははっきりしないものの、自動車から飛行機へと、興味が移っていったらしい。ある意味では自然な流れかも知れないな、とは思う。エンブリィがリドルと初めて出会ったのは1923年である。当時、陸軍航空隊を除隊したばかりのリドルは、旅回りの曲芸飛行パイロット (そんな職業が有り得るのか?) を経て、オハイオ州シンシナティのランケーン空港で曲芸・遊覧飛行(兼飛行機のフライト・レッスン)という何だかよくワケの分からない仕事をやっていたのだが、そこにエンブリィが訪ねるのである。この2人の出会いは、エンブリィ・リドル航空大学の公式記録にも残る、かの有名()な、会話で始まる。ここで英語の原文を引用してみよう。

 

“How much for a ride?” asked Embry.

“How much do you have with you?” responded Riddle.

“Twenty dollars,” he said.

“That’s exactly the price.  Hop in,” said Riddle.

 

すなわちリドルは、初対面のエンブリィの有り金 (20ドル) 全部をボッタクったわけであるが、エンブリィは別に文句は言わなかったそうである。それどころか、エンブリィは生まれて初めて乗った飛行機にすっかりハマってしまう (He was hooked) のであった。その週のうちに、エンブリィは何と自分の飛行機を衝動的に購入してしまう。アドバンス・エアクラフト・カンパニーという (誰も知らないような) 会社が「初めて」造った、WACO 9 という飛行機であった (大丈夫かよ?)。費用がいくらかかったかは不明である。自分ではもちろんまともに操縦なんかまだできやしないから、リドルに、この自分が買った飛行機の操縦の方法を教えてくれ、などと言いだす始末であった。リドルもリドルで、こんなアホな話を2つ返事で引き受けてしまうのである。

 

リドルに言わせると、エンブリィはなかなか優秀な生徒であったらしい。飛行時間わずか7時間にして、ソロ・フライトをこなしたという (ある意味では恐ろしいほど無鉄砲だった、とも言えるが . . . )。こうして、エンブリィとリドルはしばらくのあいだランケーン空港でフライト・レッスンを続けるのであるが、この2人、やたらとウマがあったのであろう。エンブリィがリドルにベンチャー・ビジネスを一緒にやろう、と持ちかけるのである。リドルもリドルで、これまた2つ返事でオーケーしてしまうのである。こうして、19251217日、 (ライト兄弟の歴史的初飛行からちょうど22周年記念日のことである) エンブリィはリドルに会社の契約書とペンを渡して、「ここんとこサインしてくれる?」とやったのである。これがエンブリィ・リドル・カンパニー、のちのエンブリィ・リドル航空大学の始まりであった。

 

エンブリィ・リドル・カンパニーは、今で言うところのいわゆるベンチャー・ビジネスというやつであるが、最初に手がけたのは、「飛行機のセールス」であった。アドバンス・エアクラフト・カンパニーの代理店として、WACO 9 (例の、エンブリィが衝動買いした飛行機) を売りさばくのが仕事である。メーカーからは毎月1機の飛行機が納入される段取りになっており、エンブリィとリドルが2人でこの飛行機を売り歩く (じゃなくて売り飛ぶ、かな?) のである。最初の半年のあいだ、ただの1機も飛行機は売れなかったという。(筆者注: 当然と言えば当然の結果である)。エンブリィによれば、来る日も来る日もずっと売れない飛行機を眺めて暮らす毎日だったという。相当に落ち込んだそうである。何とかせねば、というので、エンブリィは自分のポケットマネーをはたいて1機を自分で購入し、さらに1機を自分の母親に頼みこんでむりやり買わせたそうである。

 

 

 

 

 

エンブリィ・リドルの物語 (4)  タルトン・ヒグビィ・エンブリィとジョン・ポール・リドル (その2)

 

 

 

 

 

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